基本的に、他人と不幸度の比較をすることはナンセンスだと思っていますし、考えても落ち込んだり怒りが湧いたりするだけなのでしないようにしています。
比較をするなら過去の自分のみで充分です。昔よりまともな生活ができていてほんとによかった。休職してるけど。まあ自分の場合はちょっと戦略的な休職ではあるのですが。。。
でも、やっぱりACや機能不全家庭で育った人たちのことを「マジで」分からない人がこの世には大勢いて、そういう人たちが無意識に「自分だって大変だった」と私たちに対して思い違いからくる嫉妬心?みたいなものを抱いているなあと思うことが時々あります。それは結構理不尽でひどいことだと感じるので、その認識の差がどこで生まれているのか、例え話をしてみます。
私の個人的な経験と考えによるものなので、雑談として載せておきます。
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たとえば、機能している家庭で育った人の人生を「地面にレンガを積む」ようなものを考えてみます。生まれて、色々なことを少しずつ知って、失敗して、成功して、人生経験を積んでいきます。ひとつ知ることで、ひとつ経験することで、レンガを積んでいくようなイメージです。積んだ分だけ人生が豊かになります。
たまに、人によっては家族の誰かが荒れたり、いじめにあったり、受験や就職に失敗したりするかもしれません。事故にあったりするかもしれません。その場合、積んだレンガの一部がガラガラと崩れて、その高さが半分になってしまったり、ほとんどなくなってしまう場合があります。またその地点から積み直しになることで、人は途方にくれたり心が荒んだりすると思います。これが人生とはいえ酷い話ですし、大変です。
さて、機能不全家庭に生まれた人の場合、この地面がそもそもありません。無いというと語弊があるかもしれません。深い穴の中にいるイメージです。生まれた瞬間、地面から始まる人生が「0からのスタート」だとしたら、機能不全家庭に生まれた場合は「マイナスからのスタート」です。機能不全度によってどの程度深い穴の中に落とされるのかは変化しますが、とにかく「ゼロ以下」であることには間違いないです。
普通の家庭(今回はこう呼ばせてください)に生まれた人たちは、深い穴というものの存在を知らないまま育ちます。そりゃそうですよね。最初から均された平らな地面に立っていたら、そこに穴があくかもしれないことなんて想像しませんよね。深い穴の中は日が当たらないので寒くて、暗くて、周りが見えません。頭上に空が見えるだけで、あとは真っ暗。
普通の家庭の子たちはそういった「視点」に立ったことがないので、みな人生は「レンガを積むこと」しかしないものだと疑いません。もし日々の中で「人生を暗い穴の中からスタートさせる人がいる」という知識を得たとしても、実感として「穴の中」というものが分からないので、イメージもできないと思います。これはもう仕方のないことです。責めることはできません。
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機能不全家庭で育ったACたちは、まず「穴の中から這い出す」ことに全力を注ぎます。外の世界では、レンガの積み方は教えてくれますが、穴の中から這い出す方法は教えてくれません。すると、ACたちは「レンガを積めない私がおかしいのかな?」と思い悩んだりもします。見えている世界があまりにも違うこと、誰も穴の中からの脱出方法を教えてくれないことから、「自分が穴の中にいる」ということを自覚できないまま人生を終える人もいるでしょう。小説(映画)『ルーム』の少年ジャックのような感じですね。
普通の人たちが生まれたときからできていた「レンガを積む人生」というものは、穴の中から這い出してやっと得られるものです。誰も手を貸してくれなかったり、貸してくれても「ありがた迷惑」な協力だったりして、穴からの脱出も一筋縄ではいきません。そうしてACのなかの一部が地上に出られます。一部は脱出できずに死んでしまったり、穴の中で「井の中の蛙」のように生きていくことになります。
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こうして地上に出てきたACたちは、10年から数十年のハンデを負ってレンガを積み始めます。この時点でやっと「普通の人たち」のスタート地点に立てるということです。もちろん穴の中でも「レンガの積み方」を教えられたり、レンガそれ自体を背負ったりして生きてきたので、普通の人たちのスタートよりも積むペースは早いかもしれません。そうして、人によっては、普通の人たちと肩を並べたり、追い越していくこともあります。
ここで普通の人たちは、「あの人たち(AC)は大変だ大変だっていうけどさ」とぼやくのかなと思います。自分たちもレンガをなぎ倒されたり、うまく積めなくて倒れてしまったりと大変な思いをして生きているのに、どうしてあの人たちはもっと「背負っている」感じの顔をしたり、語ったりするのだろう?と。
私ならこう答えます。
そりゃそうでしょう。私たちはあなた方の知らない「穴の中」から這い出てきたんだから。レンガを積む人生も大変でしょう。私も積んでいるからそれはよく分かる。でも、あなた方は穴の中の暗さや心細さ、惨めさを知らないでしょう。この穴の中で死んでいった者や、出ることを諦めて俯いている人もたくさんいる。私たちはそういう世界を「背負っている」んです。何を背負っているかと聞かれたら、長い長い穴の中の思い出と答えるでしょう。もとから見晴らしのいい地上で、レンガを積む人生をお膳立てされている人の苦労と私たちの死ぬような思いを一緒にしないでほしい。
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「一緒にしないでほしい」というのは、「私たちの方が大変だった」という意味ではありません。それらはもう全く別の経験なのだということです。自分が苦労して積み重ねてきたものが理不尽な出来事で崩れ落ちるときの絶望感と、周りに誰もおらず、毎日のたうちまわるような苦しみを重ねながら這い上がらざるを得ない絶望感は、同じ「絶望感」という言葉だったとしてもまったく色の違うものです。いきなり難病や癌になり死ぬ思いをする人と、毎日罵詈雑言を受けて過呼吸になるまで泣かされる人の困難が、同じでないのと一緒です。
ちなみに、ACも地上に出てからレンガを積んでいるので、レンガが崩れ去る出来事に苛まれる可能性があります。そういう意味でも、ACは普通の人よりリスクと苦労を負いやすいと言えるでしょう。
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このブログは機能不全家庭で育った人のためにあります。なので、機能している家庭で育った人たちのことを「普通の人」と大きく括っておりますが、世の中には色々な線の引き方、呼び方、名付け方、見方があります。そういった様々な立場をすべて慮ることはできませんのでご了承ください。
ACは本当に「見えない困難」だと思います。そのことに怒ってばかりいても仕方ないとは思いますが、たまにはちゃんと怒っていいとも思います。
藤村



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