心の病の回復は3つのアプローチに分けられると思う(個人的見解)


みなさん今日もお疲れ様です。藤村です。

先日精神科を転院しまして(某有名メンクリから脱出しました)、新しい近所の精神科へお世話になることにしました。結果として、転院先の先生はとてもいい先生ですし再診にも30分時間をとってゆっくり話ができて大成功でした。詳しくは別記事で切り出す予定ですが本当に転院してよかったです。というか某メンクリが私のニーズと噛み合わな過ぎたのかもしれません。

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専門的な教育を受けたわけでもない私の超個人的な考えですが、心理的な病や認知の歪みや生きづらさというものに対しては3つアプローチがあると思っています。

1:特定の辛い出来事から立ち直る(根の深さ:浅)
2:日々生きることが辛くならないようにする(根の深さ:中)
3:自分自身のアイデンティティを固める(根の深さ:深)

「1:特定の辛い出来事から立ち直る(根の深さ:浅)」は、「あの人のあれに傷ついた」とか「あの時のことを思い出すと辛い」とか、そういったことに対するアプローチです。その場から離れて、ゆっくり休息をとって、薬を飲んで数ヶ月すれば「元に戻る」。戻れば晴れて通院は終了となるようなストーリーです。元に戻ることこそがゴールである、ということが1つめのアプローチの特徴です。心療内科・精神科でまず先生が考える治療はこれなのかなと感じています。
先生が多数いるような組織的クリニックは敷居を低くしている分、こういったアプローチ止まりになることが多いんじゃないかなと推測しています。またそういったクリニックが5分診療などのパパッと再診になるのも、完全にゴールを「元に戻る」に設定しており、初診の病名を「取り除く」ことだけに注力しているゆえなのでしょう。もちろん「元に戻る」ことがゴールの人はこれでいいと思います。ピッタリです。

「2:日々生きることが辛くならないようにする(根の深さ:中)」は、特定の何かとかそういうものではなく、もう生きてるだけで「勘弁してくれ」みたいなつらさがある状態に対して、その落ちてる気持ちのベースを上げていきましょうというアプローチと捉えています。私は完全にこれです。休職前の状態に戻ったとて、何も「よかった!」とは思えない。ただ単にまた地獄へ戻るだけというか、また体調を崩すことが目に見えている感じ。そういう人は目標を「元に戻る」ではなく「より生きやすくなる」にしないといけないですよね。その「より生きやすく」なった状態って何だろう? 具体的にはどういうこと? っていうのも一緒に考えてもらえる先生や支援者にであるとハッピーです。私にとって今回の転院先の先生はまさにそういうタイプでした。

「3:自分自身のアイデンティティを固める(根の深さ:深)」は、さすがに精神科医も難しいテーマだと思います。臨床心理士にしか扱えないテーマです。私の場合は「おかしな意見を持って振り回してくる両親にいかに操られないで独立するか」だけを考えて生きてきたため、結局「自分が何をしたいか」が分からないまま大人になりました。逃げることを目標にしていたら、逃げた先で何をしたらいいか分からなくなる、なんてよく聞くストーリーですし、私ももっと「考えている」と思ってたんです。
でも結局何を「考えて」いたかといえば、「親の支離滅裂な言葉に対抗するための『正論』『まともな意見』」だったので、私の気持ちや私の心地よさ、私の人生について考えていることはありませんでした。正しい意見、論理的な意見を考えろと言われれば頭が回りますし、実際就職面接や職場の評価はとても良いです。期待され過ぎて怖いくらい。ただし、そんな「できた人」である私自身は、一体これから何をして生きていきたいんだろう? 「何かへの対抗」「何かからの逃走」ではない人生って一体どうやって進めば良いの? と呆然としてしまっているわけです。

「特定の辛い出来事から立ち直」っても、「日々生きることが辛くならないように」なっても、この「何のために生きているのか分からずどっちへ行ったら良いか分からない」という気持ちを抱えたまま生きているのはつらいものです。
もちろん人によっては「生きる意味」なんて堅苦しいことを考えなくても、その日その日のちょっとしたことを楽しめて、それが積み重なって人生になればそれは素晴らしいじゃないか、と思う人もいると思いますし、ある意味そっちの方が健全だとも思います。ただし、そういう人には私と違って「アイデンティティ」がちゃんとあるのだそうです(臨床心理士談)。自分はこういうスタンスでこういうあり方をしている、ということがしっくりきていれば、「何のために生きているのか」なんて考えないでも楽しくやれるのだそう。

難しいですよね。「何のために生きているのか分からない」からしんどいのに、それを突き詰めていくと「何のために生きなくても平気」になるらしい。きっとそういう人は意識的か無意識的か分かりませんが、ちゃんと自分にフィットした仕事や生き方をしているからこそ思い悩むことが少ないのでしょう。私も自分がいいと思うことや楽しいと思うこと、そうでなくても、しっくりくると思えるようなことをひとつひとつ考えて、アイデンティティをつくっていこうと思います。ほんとは思春期あたりで終わってるはずなんですけどねこれ。その時期は特に家が荒れ放題でこの世全てがアホらしく(中二病とかそういう意味ではなく、心からの絶望)、お遊びのように見えていました。
周りの友人が思い悩んでいるところを眺めて「この子にはプライバシーが守られた部屋とベッドと、綺麗な風呂とリビングと、清潔なパジャマと制服と、友達とお茶できるくらいのお小遣いと、喧嘩できるくらい心理的な垣根の低い大人な両親と、楽しい食卓があるんだな。その上で悩んでるのってほんと贅沢だよな、真剣な顔して馬鹿みてえだな」って思ってました。

心の底から羨ましいです。

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今回お話ししたことを図解するとこんな感じです。数字が大きいほど根が深い問題ですが、深い問題から順に解決すべしということではありません。どれだけ「ゴール」から距離があるかというイメージで見ていただけると分かりやすいかなと思います。

自分が今どのレベルに立っているかを自覚しないとゴールを設定できず、登ってこれないので気をつけてください。


たとえば、3(アイデンティティ未完成)の人が「自分は1(ちょっと今調子が悪いだけ)!」って思って「元に戻る(1段登る)」ことを目標にしても2(毎日生きるだけで精一杯)に戻るだけ、という感じです。
私はここ数年人付き合いの運に恵まれあまり1を意識することがなかったのですが、職場がクソで3つ背負ってしまったので、これから3つ分登らなければなりません。ひえー

1,2は医者による投薬や診断書発行による休職・休学、そして(1,2も対応していますが)3は臨床心理士と膝を突き合わせてじっくり話をすることなどが大切になってくるのではないかと思います。

前にもどこかで言った気がしますが、こういったアプローチは「自分1人ではできない」のでぜひ専門家を頼ってみてください。特に3まで必要な人は、おそらくスタート地点では「自分は3まで背負っていない(落ちていない)」と思っていることが多いんです。私もカウンセリングの序盤で「私は私のことがよくわかっている」とキッパリ言って先生に「いや全然そんなことないと思うけど」と返されました(笑)分かってないんですよねこれが。論理的思考が発達していたり頭が良かったりよく考え事をしたりすることと、自己理解が進んでいることって全く関係のないことです。

体調を崩したとき、このままじゃやばいと感じたとき、「元の自分に戻」ってもダメなんじゃないかと感づいている方は是非「2や3」を一緒に取り組んでくれる先生やカウンセラーを探してみてください。早ければ早いほど良いですよ。残りの人生がよりよくなるんだからね!


藤村

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参考記事:主訴について


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