人を「指導」することでストレス解消していた頃の話



こんにちは!藤村です。

学生時代、部活やクラス内で人を「指導」することでストレスを解消していました。
その長い歴史(?)をつらつら書いていきます。

小学生の頃から前兆があった


小学生時代、いじめやらなんやらでグチャグチャの生活を送っていたのですが、
もともと引っ込み思案でおとなしかった私が「急に」学級委員や応援団に立候補するようになりました。

幼い頃、学生生活のなかで「いじめられる」側にまわってしまった子は、
すぐにそのいじめが終わったり、自分も「いじめる」側に回ったりしない限り、
大抵不登校になったり体調不良を起こします。

しかし私は分かりやすい体調不良が起きず(乖離は起きてましたし、よく熱を出していましたが、朝だけ吐いてしまったりとか、お腹がゆるくなる等の「ありがち」エピソードが全くありませんでした)、
逆に「目立つ」ことを目標に据えてギラギラしはじめたのです。

なかなか耳にしないタイプの「いじめられっ子エピソード」ですが、
なんか私はギラギラしちゃったんですよねえ、しかも結構無理をしていた自覚もあります。。

中学時代、部長になる


ギラギラしはじめた小学生の頃は、やはりいじめられっ子なので、
立候補をしたところで人望がなく落選しまくっていました。

ですが中学に上がり、とある部活の「部長」になることができたのです!
しかも立候補者がもう一人いて、一騎討ちの末「勝った」のです!

たまたま仲の良かった子のグループが多かったのと、
後輩たちと気があったというだけなのですが、人望があると勘違いしました。

そこで天下をとったと大はしゃぎした私は、
部室でぎゃあぎゃあと騒ぐことを習慣とするようになりました。
初めて部活に来た後輩がびっくりして振り返るような大声で…。


(そういえば小学生のころから騒ぎがちな面がありました↓)



後輩、同期とはできるだけ仲良く、分け隔てなく接することを心がけていましたし、
実際とても仲のいい後輩もできていました。

ですがやはり私の「天下を取った気分」の鼻高々な態度は一向におわらず、
ある種の全能感のようなものに酔っぱらったまま卒業しました。

高校時代、想定外の事態に心が死ぬ


高校に入ると色々なことが急に狂い始めます。

私には、小さい頃から通っていた習い事があるのですが、高校にはそれに近い部活がありました。

そのスクールの中でとても上手だというわけではなかったのですが、長年積み重ねて来たものもありましたし、
素人や最近始めた人よりは、明らかに上手だという自負がありました。

そのため「高校では目立ちたい!」と思っていた私は、意気揚々とその部活に入部しました。
(今思えば完全に「高校デビュー」ですね)


ただ不運なことというのはあります。
私が入学する数年前から急に、部活の内容が変わっていたのです…。

もちろん部活名を変更するほどの変わりようではないのですが、
例えるならば「長距離走だと思ってたのに、短距離のハードル走だった」
というくらいには違っていました。

さらに不運なことに、私はその「変わった後の部活の内容」に、
びっくりするくらい適性がありませんでした。

長距離走の選手としていくら名を馳せていても、ハードル走も絶対得意かというと、
そういうわけではないですよね。

新入部員が1ヶ月でできるようなことを、私は2年半できないまま卒業しました。

適性なさすぎですよね。


当時の私の頭の中では、中学時代、部長として大手を振って歩いていた頃と
現実のギャップがどうしても埋め切れず、思考がバグっていました。

そうして底辺で腐りかけながら生きていた私は、あることに希望を見出すようになります。

「はい!」という体育会系の返事は支配欲が高まる


その部活では学年の垣根なく、「自分以外の部員全員を観察し、一言指導する」
という文化がありました。

陸上部のフォーム指導とか、演劇部の作品練習とか、
どんな部活でもそういった場面が当たり前のようにありますよね。

私はそこで、全員の視線を受けながら、自分の意見を発することを経験しました。

自分の意見をはっきり述べる、ということは大切ですし、その能力が得られて良かったとは思うのですが…
当時の私は、部員全員から一斉に「はい!」と返事をもらうことに高揚感を覚え、
どんどん増長していきました。

もともと偉そうに意見を述べることなど一ミリもできない子だったのですが、
自分より明らかにその部活に適性のある(普段は劣等感を抱く相手でしかない)人たちが全員
私の方を見て真面目に「はい!」と返事をするのです。

そんな環境で毎日毎日過ごすことで、「自分には人を指導する能力がある」と信じるようになりました。

そして高校2年生、3年生と進級していくごとに私の偏りは増していきます。

その部活には適性がないことを心の中ではわかっていながら、
指導することによる気持ち良さから離れられなくなってしまったのです。

「○○に緊張感がない」とか
「もっと周りを見て動かないとダメ」とか
「○○さんは△△のフォームが違う(名指し)」とか、、、

部員たちは何一つ文句を言わずにいてくれました(おそらく本気で従ってくれていました)が、
大学に入り、あの場から離れることで少しずつ「自分は異常なことをしていたのかも」ということに気が付き始めました。

誰かを明確に傷つけた訳でもなければ、はっきりとした事件があった訳でもありません。
人によっては「別に悪いことはしてないよ」と肩を持ってくれる人すらいると思います。

が、当時の「自分は正しいことをしている」という増長ぐあいは本当にやばかったと思います。

世のパワハラはこうやって生まれるのだろうな、と思うくらいの増長ぐあいでした。

気が付いてからじゃ遅いというか、おそらく部活を辞める以外の方法であのスパイラルを止めることはできなかったと思うので、
1年目でやめておけばよかったなあ、という後悔だけが残っています。

同窓会とか絶対行けません


自分が全く活躍していなかった部活で偉そうに「指導」していたという記憶は、
今までの人生すべての中でも指折りの「恥ずかしい過去」「消したい過去」です。

顧問の先生も、指導の場面だけイキイキとする私が奇妙だったのでしょう、
私への態度はいつも決めかねているような感じでした。

同期も部活内では私の話を聞いてくれましたが、やっぱり距離を取られているような気がいつもしていましたし、
後輩たちも私のことをヒソヒソ言っていたことがありました。

もちろん卒業時に泣いてくれた後輩や、ジャージくださいと言ってくれた後輩がいたことも事実ですが、
「いい思い出」と「悪い思い出」を天秤にかけると明らかに「悪い思い出」に傾くというのが現実でした。

私自身も、かなり居心地が悪いながらも「指導」にのめり込んだせいでズルズルと部活を続けていただけなので、
その部活自体の思い出というのはほぼありません。

これらの理由から、今は同窓会などに呼ばれても、何かにつけて断っています。
そして全く食い下がられません(笑)

相手も社交辞令的に呼んでいるだけなのでしょう。
もしくは「みんな仲良しだったよね」と思い込みたいのか。

この部活のなかで、私は自分も周りもジワっと不幸にしたなと思っています。

「指導」の裏には抱えきれないほどのストレスがあるかも


人生がきゅうきゅうになっている人ほど、
「自重でつぶれてしまう」か「人を蹴散らすように上に立つ」かのどちらかになるように思います。

半数以上は前者ですが、私は完全に後者です。

「自重でつぶれてしまう」タイプはある意味分かりやすく、周りの理解も得られる可能性が高いですが、
「人を蹴散らすように上に立つ」タイプは周りに敵をつくりまくります。

みなさんはどちらのタイプでしょうか。

私と同じような、後者だという自覚がある方は、人を傷つけ(ながら自分も傷つい)たり、
自分のイメージを下げまくったりしないうちに、その場から離れてください。

自分のそのエネルギーを、ポジティブなことに使える場面は他にたくさんあります。
鬱屈としながら人を「指導」「意見」しはじめたら、思い出してください。



藤村

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